ソープ嬢・将来の夢は自殺することでした。

年末までに自殺する吉原のソープ嬢が、死ぬまでに書きたいことを書いておく。

日暮里駅で泣く

いつものように起きて、「今日は何する日だっけ…」と寝ぼけながら「あ、仕事行く日だった」と出勤日であることに気がつき目が覚めげんなりする。

今日は身体を

明日も身体を売

風俗嬢あるあるで、店に行きたくない日も出勤さえできればなんとか気分が仕事モードになるものだけど、最近のわたしはそうは行かなくなっていた。

日暮里駅に着いて泣く。吉原へ向かうタクシー内で泣く。接客までになんとか涙を止める、なんとかして、せめて接客までには涙を止める。

涙流した悲壮感溢れるソープ嬢を誰が好んで買うものか。

 

わたしは身体を売る。だけどそれだけではなく元気や癒し、笑顔も売っている。身体とそれらをひっくるめて商品なんだ。

元気を売るためには自分も元気、持ってなきゃお裾分けできないよね。

だけどわたしにはもうそんな元気はない。

「死にたい」という気持ちしかない。心は「死にたい」に支配されている。

ソープで働き出して四年以上が経ち、心は完全にぶっ壊れてしまった。生中出しをされて喜んで(いるふりをして)、よっぽどタチの悪いことさえされなければ笑顔でいて、ソープ嬢の仕事ってまさに感情労働

笑顔なんかなくてもできる単調な仕事ではない。だから心がいっぱいいっぱいのときは、仕事に行くのが苦しい。

 

もう発作みたいなもので、日暮里駅が近づくにつれて今日も心身ドナドナされる自分に絶望して泣けてくる。

もういい加減に最近泣く日が多すぎる。

それだけ心が悲鳴をあげているということ。

もう身体なんか売りたくないけど、それ以外の仕事で、借金のあるわたしはなんの仕事に就けるのか。風俗一本を生業としたこの8年間の空白期間を職務経歴書でどうやって埋めるのか。

それ以前にこんな病んだ精神でまっとうな人間と同じ仕事に就けるのかと考えると、無理だという後ろ向きな答えしかわたしには出ない。

 

高校生の頃から、わたしは将来自殺すると思っていた。「醜く老ける前に死にたい」と思っていた。20代前半で死のうと思っていたのに、もうわたしは醜く老けてしまった36歳だ。この歳まで生きてしまったことを後悔している。だからこそ早く自殺しようと思っている。

 

日暮里駅で泣いて、「もう死のう」「飛び降りる場所はないかな」「飛び込める電車はないかな」と探していた。あいにく山手線はもうホームから飛び込めない仕様になっている。

今年の夏に首吊り自殺未遂をしたわたし。首吊り用の道具はまだ一式残っているけれど、会社員時代に朝出社したら斜向かいのマンションから飛び降り自殺をした男性が死んでいる姿を見て、わたしはそれを見たとき死ねて羨ましいなと思ったし、今も倒れた死体の姿が頭から離れない。飛び降り自殺のほうが、いいのかもしれない。どちらも人に迷惑をかけることには違いはないけれど。

 

家賃もクレカも各種公共料金も滞納をしている。だけど働けない。滞納云々よりもわたしは自殺をしたい。自殺をした親族がいるわけでもないのに自殺遺伝子でも流れているのかっていうくらい、わたしの人生は自殺願望に支配され続けている。